明治から昭和28年までの酒税の推移について(2013年12月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

戦前の酒税は、昭和19年に蔵出税になるまでは、造石税でした。造石税とは製造したお酒の量に課税する従量税方式のことです。明治11年(1878)の「酒類税則」の改正によって、清酒は1石(180L)につき金1円と決まりました。その後の推移は次のとおりです。

1 明治13年(1880) 2円
2  々15年(1882) 4円 全国酒屋会議事件(減税運動)
3  々29年(1896) 7円 日清戦争
4  々31年(1898) 12円
5  々34年(1901) 15円
6  々37年(1904) 17円 日露戦争
7 大正7年(1918) 23円 シベリア出兵
8  々9年(1920) 33円
9  々15年(1926) 40円 満州事変(1931)
10 昭和12年(1937) 45円
11  々13年(1938) 45円+5円(支那事変特別税法・物品税)
12  々14年(1939) 45円+10円( 々 )
13  々15年(1940) 45円+25円(庫出税1石当り)
14  々16年(1941) 45円+55円( 々 )
15  々18年(1943) 45円+155円(四級)、165円(三級)、295円(二級)、470円(一級)
16  々19年(1944) 造石税から蔵出税一本に統合、1石当り995円(一級)620円(二級)315円(三級)
17  々20年(1945) 1245円(一級)、585円(二級)
18  々21年(1946) 2750円(一級)1910円(二級)
19  々22年4月(1947) 8830円(一級)6400円(二級)
20  々22年12月(々) 19800円(一級)15350円(二級)
21  々23年(1948) 33000円(一級)24500円(二級)
22  々24年(1949) 35400円(特級)25700円(一級)18000円(二級)
23  々25年4月 41100円(特級)35000円(一級)22600円(二級)
24  々25年12月 35000円(特級)30000円(一級)22300円(二級)
酒税の減税が実現
25  々28年(1953) 62500円(特級)46500円(一級)22500円(二級)

※昭和22年より基本税のほかに業務用酒及び特別価格酒加算税、昭和24年より自由販売加算税があり、昭和28年より加算税は廃止されました。従って、上記昭和22年より25年までは、基本税のみを記載しています。

さて、1878年から1953年までの酒税の推移を見てきましたが、このことからどのような問題が提起されるのでしょうか。私の考えを簡単に述べてみたいと思います。

1.戊辰戦争に多大の戦費を使った明治新政府にとって、地租に代わって酒税は重要な財源となり、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争と繰り返される戦争の度に増税が行われました。清酒は酒税を取る課税物資であるという考え方が第一義となり、食文化としての酒の文化的側面があまり返りみられなかったのではないかと考えます。私には今日の清酒の不振の大きな原因もこのことと関係があるように思えるのです

2.終戦から、戦後の占領と復興、高度成長、バブルの崩壊、デフレの時代と続き今日まで70年過ぎてきましたが、その間日本は平和な時代を過ごすことができました。そして、経済の発展とともに生活様式は洋風化し、清酒の消費量は昭和50年ごろより毎年減少傾向が続いています。平成23年度の清酒の生産数量は440千klですが、この数字は昭和30年頃と同じレベルです。昭和30年頃には約四千あった製造場は、平成23年には約千七百に減っています。千七百のうち実際に製造している酒造家は千軒程度だと思われます。(経済産業省の工業統計表によれば1,035製造場となっています) しかも、消費量は未だ底入れしていなく、どこまで減少するのやら心配です。このままでは業界そのものが崩壊していくのではないかと危惧されます。

3.このような状況において、過去において酒税の負担に耐え、国家を支え続けてき、とうとう今日疲弊の極みにあり、刀折れようとしている日本の酒造業界に産業政策的援助を行い、これ以上の酒税を課すことの必要性はないのではないかと考えます。今こそ、政府は酒税の減税を実現し業界の再活性化に努めるべきではないでしょうか。フランスやイタリアにおいてはワインに酒税をかけていません。国酒である清酒を酒税という呪縛から解放して、自由の身にしてやり、酒質の向上、そして、酒の持つ文化性と長い歴史と伝統の再評価によって、現代の多くの人々から支持を集め、自力で生き残れるような体制への変換が行われてもいいのではないでしょうか。酒税制度の推移を眺めながら、もういいかげんで「酒税の亡霊」から「文化の酒」を解き放つ時ではないかと考えざるをえません。

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