「和酒」と「洋酒」について(2001年2月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 酒類の消費の大きなトレンドについて、次のような仮説をたててみましたのでご批評ください。

<仮説>明治維新以後、第二次世界大戦を経て、現在にいたる過程は、「和酒」(日本文化)が「洋酒」(西洋文明)に駆逐され続ける過程ではないでしょうか。そこで次のようなグラフを書いてみました。

 「和酒」と「洋酒」の比率

「和酒」と「洋酒」の比率

 明治維新以前から生産されていた酒を「和酒」とよべば、清酒、焼酎、みりんが該当します。 維新以後実用的な生産が開始された酒を「洋酒」とよべば、ビール、ワイン、ウイスキー、雑酒などが該当します。 焼酎については1911年頃連続式蒸留機による「焼酎甲類」がつくられるようになりましたが、1937年税率が甲、乙にわかれるまでは区分できないので、焼酎は和酒にいれ、「和酒」と「洋酒」の比率をグラフにしてみました。

 1868年明治新政府が生れましたが、新政府は「文明開化」をスローガンとしたため、「洋酒」は西洋文明のシンボルになりました。 ビールは、明治2年アメリカ人のW・コープランドが横浜において醸造を開始しています。 明治9年には官営の北海道開拓使札幌麦酒醸造所が開所しています。 ワインも「殖産興業」政策のもと、明治初期に造られようになりましたが、普及は戦後のことになります。 すなわち、本格的な「洋酒」市場が形成されるのは、第二次世界大戦後ということになります。

 戦後、アメリカ軍が進駐し、私たち日本人の生活も洋風化が進みライフ・スタイルが変化し、また、経済環境も自由化、国際化が進み、円高によって外国の物が安く買えるようになってきました。 その結果、戦前の清酒中心の飲酒パターンから、ビール、ウイスキー、ワインなどの「洋酒」が「和酒」を圧倒するようになってきました。

 ところで、今後「和酒」はどうなっていくのでしょうか。「和酒」のうち焼酎乙類は度重なる増税にもかかわらず、健闘しています。 問題は「和酒」の中心をなしている「清酒」の動向です。長くなりますので、今月は問題提起をさせていただきました。 続きはまた、来月書かしていただきます。

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