構造デフレについて(2003年6月号)
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
私は最近、元大蔵省財務官榊原英資氏の著書「構造デフレの世紀」という本を読み大変ショックを受けましたので、本日はそのお話をさせていただきます。
榊原さんは現在の日本のデフレは構造的なものであり、21世紀はデフレの時代になるであろうと予測しています。 その構造デフレの大きな原因として、「グローバリゼーション」と「第三次産業革命」をあげています。
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
私は最近、元大蔵省財務官榊原英資氏の著書「構造デフレの世紀」という本を読み大変ショックを受けましたので、本日はそのお話をさせていただきます。
榊原さんは現在の日本のデフレは構造的なものであり、21世紀はデフレの時代になるであろうと予測しています。 その構造デフレの大きな原因として、「グローバリゼーション」と「第三次産業革命」をあげています。
宮下酒造株式会社 企画研究部
今日5月15日をもってついに平成14年度の清酒製造の仕込みが終わりました。 平成14年9月30日から始まった酒造りですが、大きなトラブルなく無事終了することができたことは大変喜ばしいことです。
今年度の酒造りから本格的にスタートした「社員による酒造り」ですが、当社杜氏である中浜昭夫氏(備中杜氏)の指導のもと、 頭(かしら)の三宅民夫氏にサポートしていただき、製造社員6名(清酒製造主任1名、麹係り1名、酒母係り1名、仕込み係り1名、調整係り1名、分析係り1名)が一丸となって酒造りに取り組んだおかげで、 不慣れな点も多々ありましたが、無事に「こしき倒し※」を迎えることができました。
「信頼される会社を作ろう」
― Change is Chance ―
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
昭和四十一年五月、十九歳だった私は、父を交通事故で突然亡くしました。 遺影は私の部屋に掛けていますが、毎日ながめながら享年五十三歳で亡くなった父より、私のほうが年を取ってしまったことに感慨をおぼえています。 父の通夜の夜、母が私を呼び、酒屋の跡を取るように言いました。
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
宮下酒造(株)では、平成十二年八月に経営革新支援法による経営革新計画の承認を受けており、現在その計画を実施に移している最中です。 まさに実行中であり、その成果を今評価することはできませんが、少しずつ行動の革新が、企業体質の変化につながりつつあるように思っています。
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
今回は城下町の銘酒として有名になっていた「備前児島酒」について、加藤百一氏の「城下町の銘酒」(日本醸造協会誌第九七巻第十号)を参考にして書きます。
「備前児島酒」というブランド名が最初にでてくるのは、宇喜多秀家から「児島大樽」を拝領したという「鹿苑日録」(一五九七年三月二二日条)の記事であるといわれています。 鹿苑日録は鹿苑院の歴代僧録の日記を集めたものです。 また、その他の史料にも見られますので、「備前児島酒」が京において銘酒として知られていたことが推察できます。
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
新年明けましておめでとうございます。
2002年には格別のお引き立てに預かり厚くお礼申し上げます。
また、2003年も相変わらずご愛顧のほどお願い申し上げます。
岡山県酒造組合連合会
会長 宮下附一竜
「地産地消」という言葉をお聞きになったことがありますか?
「地産地消運動」とは「地域で生産されたものは、地域で消費しよう」という運動です。なぜこのようなことが言われだしたのでしょうか。
宮下酒造株式会社 企画研究部
当社の平成14年度の清酒製造は今までで一番早い9月30日から始まりました。 これは今年度から蔵人(季節労働者)にかわって当社社員による酒造りをスタートさせたためでした。 つまり、一週間に前年度は3.5本仕込みを行っていたのが、今年度は2本仕込むだけにかわり、短期間でたくさん仕込むのではなくて長期間で仕込むことにより労働負担を軽くしようと試みたからです。 ですから、9月30日という早い時期からスタートし、6月の初旬まで酒造りをする予定になっています。
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
2003年度のNHKの大河ドラマに「宮本武蔵」が決まり、岡山県ではこの機会を利用して、観光に力を入れようとしています。 そこで、当社といたしましても「武蔵鍔」(むさしつば)という銘柄の清酒を11月より新発売いたしました。