母との約束(2003年4月号)
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
昭和四十一年五月、十九歳だった私は、父を交通事故で突然亡くしました。 遺影は私の部屋に掛けていますが、毎日ながめながら享年五十三歳で亡くなった父より、私のほうが年を取ってしまったことに感慨をおぼえています。 父の通夜の夜、母が私を呼び、酒屋の跡を取るように言いました。
そして、私が酒屋の跡を継ぐのであれば、父の念願であった酒造工場を玉野から岡山に移転すると言いました。 学生であった私は迷いましたが、しばらくして宮下酒造合名会社の代表社員に就任することを母と約束しました。
翌年の秋には新工場が現在地(岡山市西川原)に完成しました。母の決断力と実行力は、今の私にとっても驚くことです。
今から思えば、あの時母が決断して岡山へ工場を移転してくれていなければ、恐らく酒造業を廃業していたのではないかと思います。
岡山に移転することによって、新市場の開拓が出来たことが大きなメリットだったと思います。
その母も平成八年三月に亡くなりましたが、昨年は私の長男が後継者として一緒に働いてくれるようになっています。
現在酒造組合の会長として、皆様のお世話をさせていただいておりますが、振り返ってみれば、若くして跡を継いだ私に多くの先輩方がいろいろと教えてくださいました。 名前をあげる紙面はありませんが本当にすばらしい先輩に薫陶を受けることができたことを誇りに思います。
そのお礼として、少しでも若い世代の方々のお役に立てればと考えています。今後ともよろしくお願い申し上げます。