倉敷麦酒

世界の酒の中の日本の酒(2008年5月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

 日本酒の需要の長期的低迷が続いているが、その原因は複合的であると考えられ、これだという一つの原因を特定することは困難なように思える。

 私は、いろいろ考えられる原因の一つとして、世界の酒と日本酒の競争において日本酒がじわじわと押されているのではないかと考えている。日本人は太古より、米の酒、日本酒を神に奉げ、飲み続けてきた。まさに、酒とは日本酒をさしてきたのである。


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欧米諸国のビール減税制度について(2005年11月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

(1)はじめに
平成15年4月に「ビールに係る酒税の税率の特例の創設」ということで、地ビール製造者に対し参入促進及び創業期における経営基盤の強化に資する観点から、3年間の期間限定で、販売数量200KLまでの範囲内において20%の酒税の軽減が実現することになり、現在実施されています。 そして、その3年の期限が平成18年3月31日に迫ってきています。来年の通常国会において期限を延長していただかないとこの制度は消滅してしまいます。


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平成15年度税制改正等に関する要望書(案)(2002年9月号)

全国地ビール醸造者協議会
会長 宮下附一竜

 平成15年度の税制改正につきまして、全国地ビール醸造者協議会(105社)の要望として下記事項を要望いたしますのでよろしくお願い申し上げます。

 第一 ビールと発泡酒を同じ分類である「麦芽酒」に統一していただきたい。


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中国訪問記(2002年4月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 3月の中旬、中国広東省広州、珠海を訪問する機会がありました。 中国訪問は十数年振りで、前回は紹興酒の見学に行きました。その時と変わり様ははげしく、変化に驚きました。 りっぱな高速道路ができ、たくさんの自動車が走り、人々の服装はカラフルになり、明るい表情でした。 改革開放政策は現在のところ成功しているように思われます。


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JBAと海外交流(2001年8月号)

全国地ビール醸造者協議会
会長 宮下 附一竜

 今般JBA(全国地ビール醸造者協議会)のホームページに、「JBAと海外交流」と題して書かしていただきましたので、 その原稿の要旨を8月のトピックスとしてお話させていただきます。

 まず、日本における地ビールの誕生は、1994年4月の規制緩和によって製造最低数量が2000klから60klに下げられたことに始まります。 しかし、アメリカにおいては、すでにカーター大統領の頃より規制緩和が行われ、日本より10年以上も早く地ビールの動きが始まっていました。


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「ヴァイツェンビール」のアンケート結果の報告(2001年6月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 6月になり、ビールのおいしい季節がやってきました。 今月は先月行いました新製品「ヴァイツェンビール」についてのアンケート調査の概略を報告いたします。

 当社では、5月に「ヴァイツェン」を試作いたしました。 「ヴァイツェン」は小麦麦芽を60%、大麦麦芽を40%使用し、上面発酵酵母で発酵させます。 当社では、下面発酵酵母でビールを作ってまいりましたので、上面発酵ははじめての試みでした。


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地ビール業界の行く末(2000年12月号)

全国地ビール醸造者協議会
会長 宮下 附一竜

 地ビールは1994年4月に最低製造数量を2000KLから60KLに引き下げるという規制緩和によって生まれました。 2000年8月末で259場の醸造所が全国にできましたが、現在では新規参入のペースはダウンしています。 この地ビール醸造者130社が集まり、1999年3月に結成したのが、全国地ビール醸造者協議会(JBA)です。 詳しいことは、ホームページ(http://www.beer.gr.jp/)をご覧ください。


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