吉備の豊酒

備前児島酒(2003年2月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

 今回は城下町の銘酒として有名になっていた「備前児島酒」について、加藤百一氏の「城下町の銘酒」(日本醸造協会誌第九七巻第十号)を参考にして書きます。

 「備前児島酒」というブランド名が最初にでてくるのは、宇喜多秀家から「児島大樽」を拝領したという「鹿苑日録」(一五九七年三月二二日条)の記事であるといわれています。 鹿苑日録は鹿苑院の歴代僧録の日記を集めたものです。 また、その他の史料にも見られますので、「備前児島酒」が京において銘酒として知られていたことが推察できます。


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吉備の豊酒(きびのとよざけ)について(2001年10月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 今月は万葉集に出てくる「吉備の酒」についてお話したいと思います。

 古代吉備国は今の岡山県(備前、美作、備中)と広島県の一部(備後)をあわせた広い地域に形成された勢力で、大和政権に匹敵する力があったと言われています。 稲作の発達していた吉備国の豊酒はそのころより有名であったと思われます。 その証しに、万葉集(巻四 五五四)に丹生女王(にふのおおきみ)が九州の大宰府の長官大伴旅人(おおとものたびと)に贈った次の歌があります。


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